1982年10月にデビュー。セカンド・アルバム「ライク・ア・ヴァージン」でブレイク。世界中に一大旋風を巻き起こし、「Material Girl」「Papa
Don't Preach」「LIKE A PRAYER」など、出すシングル、アルバムともにメガヒット。もはや、80年代のポップス界は彼女抜きには語れない。さらに、1990年に発表したシングル「ヴォーグ」が、またもや世界中で大ヒット。1992年には衝撃アルバム「エロティカ」を発表。また、全米で8週連続1位を記録したバラード「テイク・ア・バウ」を収録したアルバム「ベッド・タイム・ストーリーズ」、さらには音楽界だけでは飽き足らず、映画界にも本格的に進出し、「ディック・トレイシー」「プリティ・リーグ」「エビータ」などに出演。紆余曲折を経験しながらも、着実に女優としてのキャリアも築いた。
1998年あたりから、彼女の第二期黄金期とも呼べる時代に突入する。これまで賞レースへのノミネートには縁がなかった彼女が、1998年に発売したアルバム「レイ・オブ・ライト」で高い評価を受け、ついにグラミー賞を受賞。ここに来て、ようやく「アーティスト」としての地位を確立した。さらに、2000年に発売した、フランス・クラブシーンの大物、ミルウェイズとのコラボレーションによるアルバム「MUSIC」も評価・セールスともに好調をキープした。
2002年に発売されたアルバム『アメリカン・ライフ』は、全世界でNO.1を獲得し、全米では65万枚以上のセールスを記録したものの、彼女のキャリア史上最低の売上げ。プロモ・ビデオが、お蔵入りになってしまったり、夫のガイ・リッチーが監督し、マドンナが主演した映画「スウェプト・アウェイ」が大コケするなど、ポップス界の女王の頭上に暗雲が広がり始めた。その後、2004年には欧米で「Re-Inventin
Tour」を決行。ライブ自体の評判は上々だったが、ツアーの模様をドキュメンタリー映画として制作し、カンヌ映画祭への出品を試みたが、カンヌ側から出品を却下されるというお粗末な結末を迎えてしまった。
20世紀の女王もついに終焉を迎えるのか!?誰もがそう感じ始めていたが、どうやら我々の予想は覆されてしまった。彼女は自分の原点に戻り、世界中がブッ飛んでしまうようなオール・ダンス・アルバムを作ってしまった。通算10作目、2年ぶりのオリジナル・ニュー・アルバム「コンフェッションズ・オン・ア・ダンスフロア」は、全編に渡りダンスナンバーをフューチャーした、世界中が望む正真正銘「マドンナ」のアルバムとなった。
2005年8月で47才の誕生日を迎えた彼女は、妻であり、2児の母親でもある。しかしながら、ダンサーとしてキャリアをスタートさせた彼女が、今もなおダンスミュージックに情熱を注ぎ続けていることは、ある意味必然なのだろう。彼女が20年以上も第一線で輝き続け、世界のミュージック・シーンの頂点に君臨し続けているのは、なによりもダンス・ミュージックが彼女の根底に存在していたからだ。クィーン・オブ・ポップの伝説が、終焉を迎えるには時期尚早。彼女を侮った世界中のファンが、再び彼女を「ダンスフロアの女王」として崇拝する日が戻ってくる!