=> 今村昌平
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『豚と軍艦』(61)では、欲望の向くまま突き進んだ挙句に自滅する小心者のヤクザ(丹波哲郎)と逆境を跳ね返して逞しく生きることを選ぶ恋人(吉村実子)を対比させると同時に、オープンセットに豚の大群を放した混沌の中にどうしようもない笑いを浮かび上がらせ、『人間蒸発』(67)では、ドキュメンタリー映画として撮り始めたにもかかわらず、素人の女性が役者として出演していた男(露口茂)に惚れていき、逆に役者の男が素人のようになっていくといった虚実逆転の混沌を描き出し、『楢山節考』(83)では、山村の慣習により70歳になった母を捨てに行かなければならない息子の苦悩を、厳格な自然との共生の中で運命に従って生きていくしかない人間の諦めにも似た強さと可笑しみの中に描き出した。
また独立した後の今村プロダクションではドキュメンタリー映画界の鬼才、原一男監督の『ゆきゆきて、神軍』(87)に尽力し、いまやサブカルチャー界の生ける伝説、奥崎謙三を世に送り出した。
遺作となったのは、2001年9月11日のNY同時多発テロ事件をテーマに、世界を代表する11人の映画監督が11分9秒01フレームの短編映画を競作する『11'09''01
/ セプテンバー11』。氏は事件については直接には触れず、第二次大戦から帰還したものの自らを「へび」だと思い込んでしまった男とその家族の混乱を描いた。ここでも両親はただ嘆き悲しみ、肉体を弄ぶ女房は寺の住職と関係をもち、それでも,もはや人間には興味をもたず「へび」であることを全うしようとする男の姿を通して戦争への批判と転換させた。
『楢山節考』でのパルム・ドールの受賞の際、カンヌには赴かず仲間とマージャンに勤しんでいたり、『うなぎ』のときも受賞発表を待たずに帰国してしまったりと、ときに子供のようにダダっこにもなる。さらに日本のTVインタビューではディレクターが金髪であったことを誉め「君みたいなヤツの方がおもしろいものを創るんだ」と持ち上げたかとおもえば「あなたにとって映画とは何ですか?」と創造性を欠いた質問をされると「そんな下らんこと訊くな」と怒ってもみせる。1975年には現在の日本映画学校を開校し三池崇史、本広克行、李相日などの映画監督や芥川賞の阿部和重、タレントのウッチャンナンチャンなど多くの人材を輩出した。
とにかく今村昌平監督は「人間」の人だった。人間を知り人間を愛した。だから人間を許せもしないし、人間に寛大でもある。きっと天国でもカメラのファインダーを覗きこみ「よーい、スタート!!」とハリのある声で快活に叫んでいることだろう。
あらためて、合掌。
(Text by Yamaguchi)