ギャングに追われた女・グレース(ニコール・キッドマン)は、山奥にある小さな村・ドッグヴィルにたどり着く。彼女を最初に見つけた男・トム(ポール・ベタニー)は、「2週間で彼女が村人全員に気に入られること」を前提に彼女を村でかくまう。グレースは、かくまってもらう代わりに村人の仕事を手伝うことを交換条件に出す。献身的に働くグレースを、村人たちは徐々に受け入れ、村全体も活気付く。しかし、彼女が銀行強盗に関わっていることを知った村に不穏な空気が漂う…。
9章のエピソードとプロローグから成る物語。黒い床に白線が引かれただけで、壁も屋根もない斬新極まりないセット。小道具も必要最低限という何ともニクい演出方法だ。劇場で演劇鑑賞をしているような錯覚に陥る。この閑散としたセットで177分の映画・・・考えただけで退屈に値しそうな印象だったが、とんでもない物語が展開された。質素なセットを利用することによって、物語や俳優の演技の本質的な部分が、必要以上に力強く感じられた。グレースへの村人の心が不安→信頼→不信→憎悪と豹変していく。人間の身勝手さ、卑劣な態度、どす黒い感情の一面が、村の部外者にこれでもかとぶつけられる。そういった感情がが徐々に剥き出しになるドッグヴィルの村人たちの姿は、受け入れがたい部分もあるが、私の心の奥底にも同じような憎悪が潜んでいるような気がして、決して否定しきれない。何とも歯がゆい思いをさせられた。
最終章で明らかになる彼女が追われていた本当の理由…ブラックユーモアを交えた衝撃のラストシーンには、正直言って言葉を失った。もし、ラース・フォン・トリアー監督が飛行機嫌いでなく、実際に候補に上がっていたロケ地へ赴くことができていたなら、この映画は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」以上に、救いようのない悲惨な結末を迎えていたかもしれない。この実験的演出が成功したか否かは答えを出すには至らないが、新たな映画の可能性を観客に示した作品であることには間違いはない。こんな作品に出会えるから映画はやめられない。トリアー監督は、本作を'アメリカ三部作'の第一弾としている。アメリカに足を運んだことのない人間にアメリカを描くことができるのか、と賛否両論を巻き起こしているが、残りの2作品「MANDERLAY」「WASHINGTON」も注目されることは間違いないだろう。
本作は、独創的な作品であるがゆえに、撮影期間を通して徐々に追い詰められていく出演者たちの姿をドキュメンタリーで描いた作品「ドッグヴィルの告白」も別途製作され、劇場公開もされた。リハーサルを行わず、その場しのぎで作られていく状態に、俳優たちは困惑を隠さずにはいられない。ときに監督を賛辞し、ときに監督を罵り…こちらも要チェック。
(text by ohishi) |
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