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「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
おどろき感動する心と謙虚さは有益であり、破壊を求める欲望とは共存しません。
科学とは生命そのものについての学問です。現実の生活の一部分なのです。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固いつぼみの中には、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。
わたしたちの多くは、まわりの世界のほとんどを視覚を通して認識しています。しかし、目にはしていながら、ほんとうには見ていないことも多いのです。
海をほんとうに知っている人など、いるだろうか?
地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。
地球の基本的な資源を守ることが必要だ。これらの資源は動物だけでなく人間にとっても生きるために必要なものだ。
大地や海が経てきた長い時の流れを思い、「100万年」や「10億年」の単位でものを考えるとき、そして、それにひきかえ人間は地上に生まれてまだまもないのだと自覚するとき、わたしたちは自分がとらわれている不安や苦難のいくつかが、まったくささいなものであるとさとります。
海辺は、寄せては返す波のようにたちもどるわたしたちを魅了する。そこは、わたしたちの遠い祖先の誕生した場所なのである。
小さな小さな生きものたちを虫めがねで拡大すると、思いがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」をさずけてほしいとたのむでしょう。
もしこれが、今までに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?
自然は、沈黙した。うす気味悪い。鳥たちは、どこへ行ってしまったのか。(中略)春が来たが、沈黙の春だった。
放射性物質はいったん海洋へ投棄されてしまえば、回収することは不可能なのだから、とりあえず投棄して調査は後回しという姿勢は惨事をまねくだろう。
わたしたちは、いまや分れ道にいる。(中略)どちらの道をとるか、決めなければならないのはわたしたちなのだ。
測ることのできない一生を終えることも、自然であり、けっして不幸なことではありません。