目次
第1部 世界はなぜのっぺりしていないのか(私は何を問いたいのか―無内包の現実性
私は何を問いたいのか―中島義道氏の解釈との対比
私が安倍晋三になってもなったという変化は起きない
繋がりの仕組みによる“私”や“今”と、むきだしの“私”や“今”
「私である」ことが成立するための異なる二つの基準
“私”の分裂からカントの超越論的統覚・サルトルの前反省的自己意識をへてヴィパッサナー瞑想からアブラハム的一神教へ
繋がりの原理と語りの原理―二種のカント原理
「語りの原理」の根幹にある世界把握
哲学とは何か―「可能性」のタウマゼイン語法)
第2部 時間的なのっぺりしていなさの特殊性―マクタガートの議論を中心にして(極限の貧しさと極限の豊かさ―ヘーゲル『精神現象学』の冒頭部について
マクタガートのA系列とB系列とは本当はどういう分類なのか
時間の矛盾を人称や様相と同型である側面において考察する
マクタガート化されたデカルトをへて認識論的問題設定を退け、「正数と負数」と「加法と減法」の対比によって時間を考える
“端的な現在vs.動く現在”vs.“現実の現在vs.可能な現在”
B系列こそが時間の動性の表現である
現実の動く現在
“私”と“今”の違いを語りの原理と繋がりの原理の対比から考える
ただ不思議なことがありありと与えられているだけ)