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商品説明
赤坂は坂の町です。坂の上には高台があります。その高台の上の赤坂テレビ村。そこに自らの青春をテレビニュースに賭けた男たちの日々がありました。今は昔の60年前、テレビは電気紙芝居と揶揄され、新聞・通信・ラジオ・雑誌の下に位置するメディアでした。しかし、めげない男たちは、1959年、皇太子ご成婚中継、60年安保闘争の報道で、テレビをメディアの中核に育て上げました。男たちの築いた伝統は、今も赤坂に息づいています。元TBS報道マンが描く、昭和のテレビ草創期。
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収録内容
1 | 赤坂テレビ村始動―昭和三十年、テレビ開局を目指す木箱カメラ |
2 | 「カメラ割りは先の先です」―昭和三十年、カメラ割りは、剣道の気合いで |
3 | テレビ塔が閃いた―昭和三十年、テレビ開局は一万個のフラッシュバルブで |
4 | 東京テレニュース―昭和三十年、日本最初のキャスターニュースが |
5 | テレビルポ「熱海」―昭和三十年、最初のテレビルポに取り組んで |
6 | 砂川・一九五五年夏―昭和三十年、砂川闘争 |
7 | 心に杭は打たれない―昭和三十年、砂川闘争 |
8 | オイチョカブで閣僚参賀―昭和三十一年、初めての閣僚参賀誕生の裏は |
9 | 赤線の灯の消えた夜―昭和三十三年、売春防止法施行、新宿二丁目の最後の夜 |
10 | 機械から熱気がでるかね―昭和三十三年、第二十八回衆議院議員総選挙に速報盤登場 |
11 | 金環食―昭和三十三年、八丈島で金環食を |
12 | 沿道八・八キロ中継始末―昭和三十四年、皇太子ご成婚中継 |
13 | 事件記者の六十年安保―昭和三十五年、六十年安保のさなかで |
14 | 「現場は生き地獄です」―昭和三十七年、三河島鉄道事故、テレビマンは |
15 | 信濃川で水を浴び―昭和三十九年、新潟地震、仲間の応援に |
16 | 全日空機の断片が―昭和四十一年、全日空機羽田沖墜落、断片回収 |
17 | いま結ぶモスクワ・東京―昭和四十五年、モスクワから世界初の宇宙中継 |